【アーティストモノローグ】後編 映像作家・前田博雅氏「4つ視点」

【アーティストモノローグ】後編 映像作家・前田博雅氏「4つ視点」

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LIFEWORKPRODUCTSのウェブサイトのトップページでみなさまをお迎えする映像作品。ランダムに表示される映像たちは、映像作家である前田博雅(まえだ・ひろまさ)さんによるもの。ビルのガラスなどに反射した人々の営みがループする映像は、実像と虚像が調和する不思議な作品です。

前田さんが見ている世界を“モノローグ”として前編・後編にてお届けするジャーナル記事。後編では4つの作品に込めた思いをお届けします。

(後編)

イラスト:阿部愛美(LWP編集部)、編集:吉田恵梨子(LWP編集部)
  • 前田博雅(まえだ・ひろまさ)さん

    武蔵野美術大学 造形学部 映像学科 卒業。東京藝術大学 大学院 映像研究科 メディア映像専攻 修了。絵画、版画、写真、彫刻作品を販売する国内最大級の現代アートECサイト「TAGBOAT(タグボート)」の所属作家。

[1]The City Layered (35.451339, 139.635494, Jan. 21st, 2023) 

 1つの建物の中に均質な間取りが立ち並ぶ。その中にそれぞれの生活=複数の時間軸が収められている。交わることはないかもしれないが、確かに隣り合いながら物理的には同じ時間の中で、それぞれの異なる時間が流れてゆく。

 そんな空間に、車道をゆく車の数々が交通のリズムを表しながら過ぎてゆく。細かく見れば歩く人もところどころに確認できる。建物の構造による微細な凹凸が反射の動きにあらたなリズムを与え、それがガラスの歪みと共鳴し、あたかも水面のような不思議な印象をもたらしている。明瞭さを失った像は過ぎゆく日常の儚さを示すかのようでありながら、常に煌めきをたたえ続けている。

 そういえば建物というのはもちろん定住する人もいれば一定期間経って居を移す人もいて、常に住む人の出入りが宿命づけられている。それは方丈記が記されたころから変わることなく、これからも変わらないにちがいない。


[2]The City Layered (35.657524, 139.702816, Aug. 4th, 2023) 

 ある猛暑の昼下がりの高層ビル。あたかも建物内に車道や歩道の光景があったかのように見えるのは、ビルの側面がガラスだけで覆われていなかったためであろう。一般道では歩行者と自動車がたゆみなく流れを作り、高速道では車間距離の開いた疎の状態と渋滞による密な状態とが不規則に発生している。

 建物の2つの側面がフレーミングされることで、またそれぞれの側面に周囲が映り込むことで、本来の空間では接するはずのない2つの道(それも空間的な高低差のある一般道と高速道、動脈としての高速道と毛細血管としての一般道)が同じような質感で並んで流れている。その様子から、堅牢な臓器としての建物同士を結び、多くの人と物資を移動させることが都市機能の大前提であったことを思い出す。

 システマチックな運動によって支えられる都市空間ならではの光景が1つの建物に凝縮されている。


[3]日日是好日 2023/08/20 17:18 

 日々の生活には周期的な行動が要求される。日が昇り、起きて、食べて、仕事して、日が暮れて、寝る。その繰り返しが日々の変わらなさをもたらし、ときに気怠く、ときに非日常の状態へと飛び出したくなることもある。

 一方で、その日常の光景が突如として、今この瞬間にも消え失せる可能性は常に否定できない。地震や戦災を前に、あるいは半世紀後の再開発を前に、その光景の変容は思いもよらず訪れる。帰る場所があってこそ非日常の出来事を享受する余裕があるのだと思う。

 ただ日々の生活の中で起こるのは、決して大きな物理的な変化ばかりではない。仕事で上手くいってはミスしたり、恋に落ちては破れたり、お気に入りの服を見つけては汚したり、身近な人と共に過ごしては遠くへ送ったりと、突然の出来事を前に目の前の光景がそれまでと異なって見えてくることがある。

 それでも日は昇り、世間は回り続け、日は暮れていくのである。目の前の光景も、ただあり続ける。事実、物理的には何も変わらない。世界を意味づけしていくのはいつだって、人々の主観的な判断にきっと委ねられている。

 動きを伴うことのない、整然と立ち並ぶ建物の隙間を、人や車が動き回る。当たり前が当たり前ではない今日を、また暮らし続ける。


[4]心象のスケッチ(Motion Drawing) 2021/02/06 17:18

 形をとどめることのない水の流れは、物事の変化を伴う時間の経過(それは1秒かもしれないし1000年かもしれない)と必然的に重ねられることがしばしばである。

 水面の高さがわずかに沈んでは膨らんで、それも空間的かつ時間的に細かく移り変わりつづける。その周期の生みだすリズムが複雑に絡み合うことで、水の動き、すなわち「流れ」のようなものが見えてくる。これは水の運動そのものというよりも、その地面の高低差や風の向きや強さ、潮の満ち引きなど外的な要因によって決まってくるものである。人々が昔から人生や運命を水に託してしまうのは、そうした理由からだろうか。

 ここでは同じ映像を使いながら、速さの異なる複数の時間を重ねることで、実際の水面を前には見えることのないイメージを動きの中にとどめようと試みている。同語反復にも似た作業は、画面に特段の作用を与えることはない。しかし、複数の時間軸が同一画面上に存在すること、その重なり合いが微細な変化を生みつつ全く同じパターンはありえないこと、反復し続けることといった点で、他の作品との共通点、ないしは源流をこの中に感じるのである。

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